旅の7日目です。

この日は今回の旅のメインともいえるクチャでの一日です。みんなが特にこの日はすごい気合いでした。

クチャには多くの仏教遺跡があります。そのためか日本人が多く訪ねてくる地域でもあります。この日は朝7時30分に起床した後、8時からホテルで朝食をとったのですが、清真式のバイキングでした。中国に来て初めてドリンクバーに「コーラ」があったので飲んでみたのですが、・・・ぬるくて・・・炭酸が抜けてる・・・。栓の開いたコーラを常温で一晩置いておいたらこんな感じでしょうね。

この朝食会場にいた人の・・・たぶん3分の1の人は日本人ですね。ホテルのロビーで日本人の方と話をしました。やはり皆さんクチャには特別な魅力を感じているみたいですね。

クチャ スバシ古城跡さて、この日は9時にホテルを出発してまずスバシ古城に向かいました。

スバシ古城は亀茲国(きじこく)最大の寺院跡です。ここには20世紀初頭に日本の大谷探検隊が訪れていますが、ここで仏舎利を発掘しました。その仏舎利は現在東京国立博物館に収蔵されています。・・・ちなみに現地のガイドさんに言わせると「考古学の名目で、盗掘していった。」とのことです。・・・まあ・・・ね・・・。


クチャ スバシ古城跡2

大谷探検隊がこのとき発掘した仏舎利容器は「一彩色舎利盒」というのですが、発掘した時の様子を大谷探検隊員の渡辺哲信が「中央アジア探検談」の中で、 


『玉手箱の発見 このハサタム(スバシ古城のこと)は、いまから三十年前、イギリスのパワーという人が有名なサンスクリットの古い古い書物を僥倖(ぎょうこう)に得てきたことがあったが、その後のこの地方に西洋人の行ったことは聞かない。私たちはここで九日間ばかり人足を雇って発掘を試みたが、ある日小さな塔の下を掘らせていると、その雇人足の土人が、たいへんなものを掘り出したから早く来いとけたたましく呼び立てる ので、何だろうと行ってみると、一つの箱を掘り出したのであった。それは高さ二十四センチぐらい、直径二十四センチぐらい、蓋は山形に真中が高くなっており、形は丸く木を鑿(うが)ったもので、すっかり金箔が置いてある。そこで中には何があるのだろうというので、土人は高価な宝物でもはいっているだろうと思ったようだが、私はまた何か有益な参考の材料でも出ればよいと、それぞれ勝手な希望をもって楽しみながら開けてみると、意外にもあけてくやしい玉手箱 で、その中はただの白骨であった。しかしこれは少なくとも千年以前のものである。どうして千年以上という鑑定がつくかというと、この地方はマホメット教が興ってから、仏教は廃滅に帰したのであるが、この白骨は火葬に付したものであり、火葬はかって仏教時代に限られたものであり、しかも、かくも丁重にしてあるところをみると、いずれ名高い聖人か高貴な人に違いないのである。』

と書いています。クチャの博物館でこの仏舎利容器の写真を見ました。今度東京国立博物館に行ったときに現物を見てきたいですね。せっかく出土した場所まで行ったのですから。

クチャ スバシ古城跡3ここで土器片を数多く見つけました。時代ははっきりとは分かりませんが、「テラコッタ」だと思いますので調べれば時代は判明すると思います。同行のNさんは表面に文様の入った土器片を表採しました。しかしこんなに簡単に多くの土器片が表採されるとは・・・本格的な発掘をするべきでしょうね。おそらく多くの遺物がまだまだ発見されるでしょう。中国の大学の先生が発掘したらしいですが、広大な広さの遺跡なのでまだまだ発掘の余地はあるでしょう。



クチャ スバシ古城跡4

わたしはこの遺跡に行って興奮しまくっています。

 



その後、10時30分に出発して、「キジル千仏洞」に向かいました。

クチャ 塩水渓谷途中で「塩水渓谷」に立ち寄りました。ここは中国でも指折りの絶景の地域なのですが、同時にシルクロードの重要な通路だったところです。昔、かの三蔵法師もこの道を通って天竺に向かい、そして帰ってきた通路です。ここで雲母を拾ってきました。塩水渓谷と言うだけのことはあって、流れてる(少しだけども・・・)川の水はしょっぱかったです。簡単に塩が採取できました。

 


クチャ キジル千仏堂1その後再び移動して、いよいよキジル千仏洞へ。この地は鳩摩羅什を輩出した土地でもあるので、キジル千仏洞の正面には鳩摩羅什の座像が設置してありました。ここでみんなそろっての記念撮影。石窟内部は写真撮影が禁止されているため、近くの土産物屋さんに預けて見学です。



クチャ キジル千仏2 像

今回見学したのは西区にある石窟のいくつかですが、8号洞窟、10号洞窟、17号洞窟、27号洞窟、32号洞窟、34号洞窟・・・ここまでは入場料だけで見ることが出来ます。このうち8号洞窟、32号洞窟、34号洞窟は「中心柱窟」とよばれる形態でした。部屋は前室(現在は消滅)、中室、後室の3つの部屋に分かれており、中室から後室を通って礼拝します。中室の中央には仏陀の座像があり、天井には説法図、飛天図等がありました。すごく驚いたのが、初めてみました、「五弦琵琶図」実物は正倉院展かなんかで見た記憶がありますが、現地で見る図はまた格別です。

クチャ キジル千仏3

10号洞窟は僧坊窟です。生活していた跡として竈の跡がありました。27号洞窟は仏眼窟とよばれるものでした。ここで気づいたのが、どの洞窟に行っても案内板には日本語名とドイツ語名の標記があるのです。後で分かったのですが、これは発見した探検隊が付けた名前で日本語名は第2次大谷探検隊が付けた名前だそうです。いやはや、こんな形で探検隊の功績を見ることが出来るとは・・・。

そして今回はせっかくクチャまで行ったのですから、100元追加して38号洞窟「音楽窟」を見てきました。さすがにここの洞窟は絵の保存状態が抜群に良かったです。これが見られただけでもシルクロードに行って良かったです。

その後14時20分から昼食を摂り、今度はクズルカハ千仏洞に移動です。

クチャ クズルカハ千仏洞16時50分にクズルカハ千仏洞に到着しました。ここでも内部の撮影は禁止です。ここでもいくつかの石窟を見たのですが、気になったのが32号窟の「三角切り持ち送り天井」とよばれるものです。大学時代に研究していた日本の古墳の石室の様式に「持ち送り式」とよばれるものがあるのは覚えていましたが、「三角切り〜」なんてのは初めて聞きました。現地のガイドさんによるとアフガニスタンの密教の影響らしいです。中国語では「蓋楼頂」と言うらしいです。日本に帰ってきてから少し調べましたが、日本にも似た形式の石室はあるみたいです。島根県の神原神社古墳の石室も三角持ち送り式と言うらしいですね。

クチャ クズルカハ烽火台その後、クズルカハ烽火台を見学しました。










クチャ キジ古城跡その後再び移動して、キジ古城遺跡へ・・・何も残ってませんでした。ゴミ置き場じゃん!

その日は19時25分にホテルに帰って夕食。久々に紹興酒を飲みました。あまり美味くはなかった・・・。

なかなかハードな1日だったのでこの日はもはやグロッキー・・・。

翌日はウルムチに戻ります。